スリランカ、人生を変える深イイ話のVol.3
第3回目の今回は、ジャヤワルダナ元大統領のお話。
ジャヤワルダナさんで有名なお話
第二次世界大戦後の1951年9月6日、サンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席しました。
この会議は、わかりやすく言うと、敗戦国の日本をどうするかという会議でした。
その会議演説で、ジャヤワルダナセイロン代表は
「日本に対する賠償請求権を放棄する」と演説で述べます。日本の独立を認めましょう。
わかりやすく言うと、こういう趣旨のスピーチでした。
セイロン(当時)も日本軍の爆撃を受けていたのです。
この演説の中の言葉で、近年「愛の言葉」として有名になってきている演説
それは
「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」
ブッダの教えを引用して、こう述べました。
「日本を分割統治から救った」
第二次世界大戦において、ドイツが米・英・ソ・仏4カ国に分割統治されたように
日本も北海道・本州・九州・四国を連合国それぞれが統治しようとした計画でした。
この計画、この演説により、分割統治にならずに済み
日本を助けてくれた愛のスピーチと伝わります。
ただ、これに関しては、このサンフランシスコ講和会議前に
すでに分割はしないと決まっていたという指摘もあり
少し美談として、神話化されているきらいもあります。
諸説いろいろあり、確かに直接的には、日本分割とは関係なかったかもしれません。
ただ私が伝えたいのは、このスピーチの内容の素晴らしさと
日本のために、このスピーチをしてくれたという事実です。
勿論、無理に美談や神話にすることはないと思います。
ですが、決して過小評価することなく、この事実とスピーチを
日本人に伝えていきたいと思っています!
日本人は、自国の歴史を知らなすぎだと思います。
という私もこの話、スリランカと係わるまで知りませんでした。
しかも、この事実をスリランカ人に聞いて
とても恥ずかしい思いをしました。
日本人は、まったくと言っていいほど知らないと思いますが
スリランカの人たちは、ジャヤワルダナのスピーチが日本を救った
と皆がそう思っています。
ジャヤワルダナさんは、名前の頭文字で、通称JRさんと呼ばれていましたが
日本の国鉄が、JRになったときに、スリランカの人々は
JRさんのやったことの恩返しで、JRと名前を付けた。
こういうジョークのような話があります。
本当に一方通行な想いとでも言いますか・・・
ですので、私はイベントなどでも、このお話をさせていただくのですが
つい先日、NEWSの加藤さんがテレビ番組「徹子の部屋」に出演されたおりに
このジャヤワルダナさんの「愛の言葉」について触れてくださり
少しは、また日本での認知度が高まったのではないかと思います。
やはり芸能人や地上波テレビの影響力はすごいですからね!
私なんかが話すよりも桁違いの拡散力がありますので。。。
加藤さんは、一昨年スリランカを旅されて、スリランカが気に入ったそうです。
ありがとうございます。
その旅のエッセイが、本になって発売されたそうです。
お礼に告知させていただきます^^
加藤シゲアキ (著)
「できることならスティードで」
横道にそれてしましたが・・・
ジャヤワルダナさんの素晴らしいエピソードは、ほかにもあり
遺言として「角膜を右目はスリランカ人に、左目は日本人に」
角膜の献眼先を希望しました。その後、左目の角膜は遺言通り長野県の女性に移植されました。
あと、これはあまり知られていませんが
ジャヤワルダナセンターという記念館が、コロンボにあります。
この中の、日本館という中は、日本人しか見ることができないエリアがあります。
こちらの記念館の話や、ジャヤワルダナさんのエピソードなども
また詳しくお伝えできたらと思います。
今回は、ぜひこちらの「愛の言葉」を覚えてください。
そして、ぜひご友人の皆さんにもお伝えいただけたら嬉しいです。
今の世界にとっても、とても大切な言葉なのではないかと思っています。
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